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2017年 02月 24日

スパルタ調教で鍛えた最強の逃げ馬1992年クラシック二冠馬・ミホノブルボン逝く

今日、大変残念なニュースが飛び込んできました。自分が競馬場に通い始めた90年代初めの思い出の名馬、1992年の年度代表馬ミホノブルボンが、今月22日、繋養先の北海道日高町スマイルファームで老衰のため亡くなりました。28歳の大往生でした。

ミホノブルボンは、取引額700万という安馬でしたが、スパルタ調教で鳴らした戸山為夫厩舎で並の馬なら壊れると言われた坂路で一日4本という厳しい調教を積んで鍛えあげられ、歴史的名馬となりました。

デビュー戦は1991年9月。生涯のパートナーとなった小島貞博騎手を背に芝1000mに出走。スタートで出遅れながらも上がり33.1秒の末脚で豪快に差し切り、58.1秒の3歳コースレコードで勝利。続く500万下は6馬身差の圧勝。3戦目の3歳王者決定戦・朝日杯3歳S(GI)はヤマニンミラクルとのハナ差の接戦を制し、3戦3勝で見事1991年JRA賞最優秀3歳牡馬に輝きました。

1992年は皐月賞トライアル・スプリングS(GII)から始動。ノーザンコンダクト、ライスシャワー、サクラバクシンオーらを相手に7馬身差の圧勝を飾ると、続く皐月賞(GI)、日本ダービー(GI)は共に1番人気を背負いながらもスタートから果敢に逃げまくり、最後まで後続を寄せ付けず、堂々逃げ切り無敗の二冠馬となりました。
スパルタ調教で鍛えた最強の逃げ馬1992年クラシック二冠馬・ミホノブルボン逝く_b0015386_23141763.jpg
思い出の日本ダービーの馬券。無敗の皐月賞馬なのに単勝は2.3倍もつきました。父マグニチュードがスプリンターの子を多く輩出していたことから、距離不安がささやかれていたためですが、不安を払拭して2着に4馬身差をつけて圧勝しました。

秋初戦は菊花賞トライアル・京都新聞杯(GII)を2'12'0の日本レコードで逃げ切りデビュー7連勝。いよいよ1984年シンボリルドルフ以来の無敗の三冠の期待が高まって迎えた運命の菊花賞(GI)は、2番手追走から最後の直線満を持して先頭に立つも、ゴール直前、後に天皇賞・春を2勝する稀代の名ステイヤー・ライスシャワーの強襲を受け1 1/2馬身差の2着に惜敗。無敗の三冠は惜しくもなりませんでした。

その後は脚部不安のため、菊花賞を最後に現役引退。種牡馬入りしましたが、残念ながら後継種牡馬を出すことはできませんでした。

それにしても、他馬の目標になる逃げ馬が、クラシックという大舞台で1番人気を背負って期待に応え続けた(あの伝説の逃げ馬サイレンススズカでさえ、クラシックでは結果を残すことはできなかった)ことは、ほとんど他にはいないはずで、本当に凄いことだったと思います。

また、戸山為夫調教師、小島貞博騎手(後に調教師)、ライバルのライスシャワーは、いずれもあまりにも早くこの世を去ってしまいましたが、ミホノブルボンは彼らの分まで良く長生きしてくれたと思います。素晴らしい走りをありがとうミホノブルボン!心からご冥福をお祈りします。

ミホノブルボン(撮影日1992年4月19日・皐月賞)
父マグニチュード 母カツミエコー(母の父シャレー)
1989年4月25日生 牡28 栗毛 門別・原口圭二生産 栗東・戸山為夫厩舎
(通算成績)8戦7勝
(重賞勝利)1992年日本ダービー(GI)、皐月賞(GI)、1991年朝日杯3歳S(GI)、1992年スプリングS(GII)、京都新聞杯(GII)
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by Yuuichiro_K | 2017-02-24 23:28 | 天国に旅立った名馬 | Trackback | Comments(0)


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