2004年 08月 30日

2004年8月、懐かしい馬たちに会いに行きました-その7-(ウイニングチケット)

2004年8月21日(土)AM 静内スタリオンステーション

ウイングアロー&アサティス親子の次は、いよいよダービー馬との対面です!
93年の日本ダービーを制したウイニングチケット君です。
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                 ずっと、柵寄りにたたずんでいました

ウイニングチケットといえば、なんといっても93年日本ダービーでの激戦を思い出します。手綱をとるのはベテラン・柴田政人騎手。彼は、これまでダービージョッキーになっていないことが不思議なほどの名騎手でした。ダービーでは、執念を感じさせる豪快なアクションで、内を突いたビワハヤヒデ、外から追い込むナリタタイシンの追撃を振り切り、見事1番人気に応えて勝利し、ついに嬉しい悲願のダービージョッキーとなったのでした。(名前のとおり勝利の切符をつかんだのですね^^)
93年のクラシックは、名手と名馬がコンビを組む、ファンにはたまらない年でした。岡部騎手・ビワハヤヒデ(菊花賞)、武豊騎手・ナリタタイシン(皐月賞)と共に3強と呼ばれ、それぞれが勝ったレースでは持ち味を発揮し、見ごたえある勝負を見せてくれました。残念ながら、ウイニングチケットのダービー制覇後の勝ち星は1勝(京都新聞杯、後方一気の鬼脚で勝利)だけで、菊花賞、ジャパンCと連続して3着に敗れるなど、あと一息のレースが続き、最後は、94年の天皇賞・秋でライバル・ビワハヤヒデと同様に脚部不安を発症し、引退しました。しかし、ダービーのレース後の声援、祝福の声の大きさは、平成ダービー屈指のものだったと現場にいた私は確信しております。(1番すごかったのは90年のアイネスフウジンの時かなあ)

ウイニングチケット
1990年生 14戦6勝 父トニービン 母パワフルレディ(母の父マルゼンスキー)
GI勝利 1993年日本ダービー
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# by Yuuichiro_K | 2004-08-30 20:56 | 04年牧場写真 | Trackback | Comments(0)
2004年 08月 29日

2004年8月、懐かしい馬たちに会いに行きました-その6-(ウイングアロー)

2004年8月21日(土)AM 静内スタリオンステーション
サクラローレル君の次に会ったのは、1998年・2000年の最優秀ダートホース、ウイングアロー君です。

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            隣の放牧地には父親のアサティスがいました

ウイングアローはダート路線で息の長い活躍を見せました。3歳時に名古屋優駿、グランシャリオC、ユニコーンS、スーパーダートダービーと重賞4連勝を達成し、98年の最優秀ダートホースに選出されました。しかし、4歳時は5戦して2着2回、3着3回と勝ちきれないレースが続きました。復活したのは5歳のフェブラリーS。最後方待機からレースを進めると、直線大外からまさに矢のごとく追い込んで優勝、ついに念願のGI初制覇を達成したのでした。秋には記念すべき第1回ジャパンカップダートで、上がり37秒台の豪脚を見せ3馬身半差をつける圧勝、しかも2分7秒3のレコードタイムで飾って、2年ぶり2度目となる2000年最優秀ダートホースに選出されたのです。6歳時もフェブラリーS2着、ジャパンカップダート2着と活躍しました。(7歳のフェブラリーS9着を最後に引退)。個人的には、5歳時のフェブラリーSとジャパンカップダートで見せた追い込みが、母の父ミスターシービーを彷彿させてくれて、嬉しかったですね。

ウイングアロー
1995年生 30戦11勝 父アサティス 母サンヨウアロー(母の父ミスターシービー)
GI勝利 2000年フェブラリーS ジャパンカップダート
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# by Yuuichiro_K | 2004-08-29 14:31 | 04年牧場写真 | Trackback | Comments(2)
2004年 08月 28日

2004年8月、懐かしい馬たちに会いに行きました-その5-(サクラローレル)

2004年8月21日(土)AM
今日は朝からいい天気になり、牧場見学日和となりました。
本日最初の訪問先は、静内スタリオンステーションです。ここには、沢山の名馬がいました。
その沢山の名馬の中から、最初に会ったのが96年の年度代表馬・サクラローレル君です。
放牧地の中に入れてもらって、一緒に記念写真も撮らせてもらいました^^
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              堂々とした、輝く馬体がとても綺麗でした。

サクラローレルは、遅咲きの桜でした。94年の3歳クラシックは、青葉賞3着、セントライト記念8着と出走すらできませんでした。4歳時は、金杯(東)優勝、目黒記念2着と軌道に乗ったのもつかの間、両前脚の骨折で1年余りの休養を余儀なくされました。そして、5歳。13ヶ月ぶりの中山記念でジェニュインを並ぶ間もなく交わす快勝(個人的にはトウカイテイオーの1年ぶりのVに負けないくらいの快挙だと思う)で復活ののろしを上げると、次走天皇賞・春では2頭の年度代表馬、ナリタブライアン、マヤノトップガンを直線一瞬に抜き去って、見事にGI制覇を達成したのでした。秋は、1番人気で天皇賞・秋に挑みましたが、バブルガムフェローの3着に惜敗。しかし、有馬記念は1番人気で優勝し、堂々96年の年度代表馬となりました。6歳時は、有馬記念からぶっつけで天皇賞・春に挑むも、マヤノトップガンの2着。そして世界最高峰のレースとして名高い凱旋門賞を目指しフランスに渡りましたが、トライアル・フォア賞のレース中に故障し、世界制覇の夢叶わず引退となりました。
また、調教師の境勝太郎さんが、天皇賞・秋で脚を余して敗れた横山典弘騎手に相当怒っていたことや、数々のサクラの名馬を育ててきた中で、「ローレルが一番」とおっしゃっていたのが印象に残っています。

サクラローレル
1991年生 22戦9勝 父Rainbow Quest 母ローラローラ(母の父Saint Cyrien)
GI勝利 1996年天皇賞・春 有馬記念
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# by Yuuichiro_K | 2004-08-28 21:57 | 04年牧場写真 | Trackback | Comments(0)
2004年 08月 27日

2004年8月、懐かしい馬たちに会いに行きました-その4-(サクラスピードオー)

2004年8月20日(金)PM
日西牧場の次に訪れたのは、本日最後の訪問地、新和牧場でした。

ここは、「サクラ」の冠名の馬たちの故郷です。88年日本ダービー馬・サクラチヨノオー、94年弥生賞を勝ったサクラエイコウオー、96年京成杯・共同通信杯4歳Sを勝ったサクラスピードオーなどがおりました。また、78年ダービー馬・サクラショウリ、88年朝日杯3歳S馬・サクラホクトオー、96年年度代表馬サクラローレルの母ローラローラのお墓もあって(3つ並んでいました)、お参りをしてきました。その中で今回、会うことができたのが写真のサクラスピードオー君です。

サクラスピードオー
1993年生 22戦4勝 父サクラホクトオー 母サクラハッスル(母の父マルゼンスキー)
重賞成績 1996年京成杯 共同通信杯4歳S
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現役時代はガンガン飛ばす逃げ馬でしたが、この日は穏やかに迎えてくれました

今回のツアーは、初日の日記でご紹介したとおり、モランボンツーリスト(サクラグループの会社)主催ということもあったのでしょう、サクラゆかりのこの牧場では、沢山のサービスをしていただきました。サクラスピードオーと口取り写真を撮らせてもらったり、96年青葉賞3着馬・サクラシンオーに乗馬させてもらったり、蹄鉄をもらったり、若駒の放牧地も見せてもらいました。(大感謝!)

また、牧場で働く方の貴重な生の話を聞くことができて、本当に良かったです。あらためて、牧場長さんをはじめ、スタッフの皆様に感謝致します。
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# by Yuuichiro_K | 2004-08-27 23:11 | 04年牧場写真 | Trackback | Comments(2)
2004年 08月 26日

2004年8月、懐かしい馬たちに会いに行きました-その3-(ビワハヤヒデ)

2004年8月20日(金)PM
日高ケンタッキーファームの次に訪れたのは、日西(にっせい)牧場でした。

ここには、93年の年度代表馬・ビワハヤヒデ君や、今年産駒のメイショウバトラーが活躍中の93年フェブラリーハンデ勝ち馬・メイショウホムラ君などがおりました。(残念ながらメイショウホムラ君は、離れた放牧地にいたので写真はありません; ;)

一方、ビワハヤヒデ君は馬房にいて、これから放牧ということで、無事会うことができました。

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この直後、彼は大きく2本足で立ち上がりました、早く放牧に行きたかったんだよね^^

さすがに、白さを増した馬体になっていましたが、突然立ち上がるわ、放牧されると早速走り出すなど、本当に元気いっぱいでした^^

ビワハヤヒデは、2歳時から卓越したスピードを見せ、93年のクラシック候補として名をあげていましたが、朝日杯3歳S2着、皐月賞2着、ダービー2着と、あと一歩のところで栄冠を逃し続けていました。しかし、夏場、放牧せず自厩舎で鍛錬にはげんだ彼は、菊花賞を2着に5馬身差をつけるレコードタイムで圧勝し、ついに春の無念を晴らして悲願のGⅠ制覇を達成しました。次走1番人気で出走した有馬記念はトウカイテイオーの2着に敗れたものの、年間を通して安定して走ったことが評価され、93年の年度代表馬に選ばれました。
4歳のビワハヤヒデは、完成した古馬の走りを見せ、京都記念、天皇賞春、宝塚記念、オールカマーと重賞4連勝を達成。しかし、春秋連覇を狙った94年秋の天皇賞のレース中に故障を発生し、無念の引退となりました。一つ下の弟ナリタブライアンとの対決が期待されていましたが、残念ながら夢と終わってしまいました。しかし、連を外したのは最後のレースのみ、その強さは「芦毛伝説(タマモクロス→オグリキャップ→メジロマックイーン)」最後の継承馬」の名にふさわしいものでありました。

ビワハヤヒデ
1990年生 16戦10勝 父シャルード 母パシフィカス(母の父Northern Dancer)
GⅠ勝利 1993年菊花賞 1994年天皇賞春 宝塚記念
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# by Yuuichiro_K | 2004-08-26 12:25 | 04年牧場写真 | Trackback | Comments(0)
2004年 08月 25日

2004年8月、懐かしい馬たちに会いに行きました-その2-(オフサイドトラップ)

2004年8月20日(金)PM
サイレンススズカのお墓参りをすませ、次に向かったのは日高ケンタッキーファームでした。
ここで、昼食(店名「ラムハウス」で、北海道の郷土料理・鮭のちゃんちゃん焼きを食べました。大粒のホタテも入っていて、美味でした)をとって、いよいよ最初の懐かしの名馬に対面です。

ここには、98年秋の天皇賞馬・オフサイドトラップ、94年の最優秀ダートホース・フジノマッケンオーなどがおりました。
オフサイドトラップ君は、馬房の中にいたのですが、扉を開けてもらって撮影することができました。(なお、フジノマッケンオー君はうるさかったため、きちんとした写真が取れていませんでした; ;)オフサイドトラップ君はとってもおとなしかったです。でも、咬むから近づかないでと言われました^^;
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      隣の馬房(84年菊花賞3着馬ロングハヤブサ)のエサが気になる?

オフサイドトラップは、3歳時、皐月賞トライアル若葉Sを制し、早くから活躍をした素質馬でした。皐月賞、日本ダービーにも出走しましたが、三冠馬ナリタブライアンの前に涙を飲みました。その後、彼は度重なる脚の故障(屈腱炎)に苦しみ、ようやく7歳の時、初の重賞勝利(七夕賞、新潟記念)をあげました。そして迎えた秋の天皇賞は、圧倒的人気のサイレンススズカが故障し、場内が悲鳴で騒然とする中、まっさきにゴールを駆け抜け、ついに悲願のGI制覇を達成したのでした。しかし、表彰式の雰囲気は重苦しく、勝ったオフサイドトラップに対する声援も今ひとつだった記憶があります。けれども、故障を乗り越え、7歳でついにたどり着いたGIのゴールは本当に立派だったと思います。

オフサイドトラップ
1991年生 28戦7勝 父トニービン 母トウコウキャロル(母の父ホスピタリティ)
GI勝利 1998年天皇賞秋
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# by Yuuichiro_K | 2004-08-25 12:24 | 04年牧場写真 | Trackback | Comments(0)
2004年 08月 24日

2004年8月、懐かしい馬たちに会いに行きました-その1-(サイレンススズカ)

 はじめまして、 「愛しのサラブレッド写真館」にようこそ。管理人のプレクラスニーと申します。
 本ブログでは、主に関東で行われる重賞レースのパドック写真を公開していく予定です。
 また、パドックで見た馬の気配や、馬券予想、収支結果等も記録していこうと思います。
 
 それから、平成16年8月20日から22日にかけて、株式会社モランボンツーリストの北海道牧場巡りツアーに参加し、沢山の名馬たちと再会してきました。

 そこで、まずは、この牧場巡りで撮影した馬たちの写真を少しずつ公開していきたいと思います。(以下、日記形式で)

2004年8月20日(金)AM
 青森付近を通過中の台風のため、午前9時40分に到着した新千歳空港の天候は、雨・・・
 この日は、当初、午前中、社台スタリオンステーションの見学を予定していたのですが、残念ながら、見学は不可能になってしまいました。(22日に変更)

 そこで、急遽、予定を変更して向かった先は、「稲原牧場」。
 ここは、98年の宝塚記念馬サイレンススズカの産まれた牧場で、彼の眠るお墓がありました。

 サイレンススズカのハイペースで飛ばしても失速しないで勝つという圧倒的な逃げは、これまでに見たことのない異次元の走りでした。特に98年金鯱賞の良馬場で大差勝ちの日本レコード(当時)には驚愕しました。
 また、当時無敗だった2頭の外国産馬エルコンドルパサーとグラスワンダーを完封した98年毎日王冠の逃げ切りは、その後の2頭の活躍を考えると本当に価値ある勝利でした。
 しかし、次走の秋の天皇賞のレース中に故障し、彼は突然この世を去りました。
 このレースを実際に競馬場で見て、悲しみの涙を流したこともあり、ここを訪問できたことは、とても感慨深いものがありました。

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彼の最後の勇姿。。。1988年11月1日天皇賞・秋のパドック写真です。

 ただ、突然の訪問で花の一つもあげられなかったのは残念でした。
 その分、気持ちをこめて、お墓参りをしてきました。  

 写真には、「その瞳にはドリームロード 稀代の快速馬」と記されています。
 数多くの名馬に乗ってきた武豊騎手は、「立場上どの馬が強いか言いにくいけど、古今の名馬を集めてレースをしたらもっとも勝ちやすい気がする」とサイレンススズカを評し、最強馬として彼の名をあげています。(スポーツ・グラフィックナンバー20世紀スポーツ最強伝説より引用)

 サイレンススズカ
 1994年生 16戦9勝 父サンデーサイレンス 母ワキア(母の父Miswaki)
 GI勝利 1998年宝塚記念
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# by Yuuichiro_K | 2004-08-24 01:48 | ごあいさつ | Trackback | Comments(0)